PID 772514 コマ58の画像(NDL IIIF)を AI が読み、家康・明智日向守・岡崎に関わる部分を翻刻した。表示は「AI照合済み・専門家未確認」で、専門家による照合は済んでいない。三日条は、京都の酒左衛門のもとから家康・西国への出陣に関する連絡があったことと、京都で明智日向守・小田七兵衛が別心したという知らせが大野から届いたことを記すと読める。四日条は、岡崎・緒川から信長父子の死が必定との知らせを受けたこと、明智の別心、家康が堺にいたこと、「家康ハ伊勢地を御のきて大濱ヘ御あり」と読める記述を含む。ただしこの記述は日記の書き手が受けた報の記事で、家康の帰還日や岡崎到着日を日付つきで述べる語は読み取れなかったため、帰還日・経路は確定せず日付不詳のままとした。六月五日条以降(コマ58の左頁とコマ59)にも家康・岡崎に関わる語がある可能性があるが、草体のため読み切れず、翻刻に含めていない。信長公記の項目(家康が宇治田原越えで退き、桑名から舟で熱田に着く)とは経路の記述が異なるため、両方を別々の項目として残し、統合していない。
原文 AI作成
三日(己丑) 雨降 京都酒左衞門所より家康〔?〕下〔?〕西國へ御陣可有之〔?〕申来〔候〕…酉刻ニ京都ニて上様ニ明智日向守・小田七兵衞別心ニて…〔?〕いふ之由 大野より申来〔候〕|四日(庚寅) 信長之儀 御父子必定之由 岡崎・緒川より申来〔候〕 明智別心也 家康ハ堺ニ御座…岡崎ヘ越〔候〕…家康ハ伊勢地を御のきて大濱ヘ御あり…穴山を腹切〔?〕…七兵衞殿別心ハセツ也…