毛利方にも信長死去の急報が届く

天正十年六月四日

1582年6月23日

1582-06-23(ユリウス暦)/1582年 夏・6月下旬

現在の暦(グレゴリオ暦)では 1582-07-03

毛利方にも信長死去の急報が届く

天正十年六月四日(1582/06/23)の七つ下がり(午後4時ごろ)、毛利方の早打が着き、信長の切腹が毛利方に伝わった。

解説 AI作成

川角太閤記(C)は、毛利方が上方に置いていた早打が四日の七つ下がりに着いたと記す。毛利方が信長の死を知った日については、史料によって異なる可能性があり、吉川家文書など同時代の文書での確認は本文未取得のため未了である。

人物

記録なし

場所

参考文献

原文 AI作成

毛利家上方に被付置候早打四日の七ツさかりに參着候信長公二日の卯の刻に御切腹候何とて遲々候や

書き下し AI作成

毛利家、上方に付け置かれ候早打、四日の七つ下がりに参着候。「信長公、二日の卯の刻に御切腹候。何とて遅々候や」。

現代語訳 AI作成

毛利家が上方に付け置いていた早打(急使)は、四日の七つ下がり(午後4時ごろ)に到着した。「信長公は二日の卯の刻にご切腹なさった。なぜ(知らせが)遅れたのか」。

根拠資料一覧