供は小姓衆二、三十人のみ

天正十年五月二十九日

1582年6月19日

1582-06-19(ユリウス暦)/1582年 夏・6月中旬

現在の暦(グレゴリオ暦)では 1582-06-29

供は小姓衆二、三十人のみ

天正十年五月廿九日(1582/06/19)、信長は小姓衆二、三十人だけを連れて上洛し、諸将には陣の支度をして知らせを待つよう触れた。

解説 AI作成

信長公記は、直ちに中国へ出発する予定のため陣の支度をして連絡を待て、との触れが出され、「今度は御伴これ無し」と記す。この記述自体は供の人数と触れの内容を述べるにとどまり、襲撃との関係については何も述べていない。

人物

場所

参考文献

原文 AI作成

御小姓衆二三十人被召列御上洛直に中國へ可被成御發向之間御陣用意仕候て御一左右次第可罷立之旨御觸にて今度者御伴無之

書き下し AI作成

御小姓衆二、三十人を召し列れられ御上洛。直ちに中国へ御発向なさるべきの間、御陣用意仕りて、御一左右次第、罷り立つべきの旨、御触れにて、今度は御伴これ無し。

現代語訳 AI作成

小姓衆二、三十人だけを連れて上洛された。すぐに中国へ出発される予定なので、陣の支度をして、知らせがあり次第出発するようにとの触れが出され、今回は(ほかに)お供はいなかった。

根拠資料一覧