信長公記は、夜に入って亀山で光秀が逆心を企て、明智左馬助・明智次右衛門・藤田伝五・斎藤内蔵佐と談合したと記す。川角太閤記(C)は、酉の刻に亀山の東の柴野で軍勢を備えたあと、五人の者に打ち明けたとし、弥平次の賛意の言葉まで記す。場所(亀山/柴野)や人数の書き方が異なるため、場所の主張は対立として両方残した。密談の内容はいずれも後年の記述に依るので、推定として扱っている。
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老後の思出に一夜成とも天下の思出をすへきと此程光秀は思切候各無同心候は本能寺へ一人亂入腹切て可思出す覺悟也各いかに〱と被申しかは彌平次進出て申樣子は御一人御胸に思召立候とも天知地知我知人知と申たとへの御座候にましてや五人の者に被仰聞上は思召被留事全御無用に候
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老後の思ひ出に、一夜なりとも天下の思ひ出をすべしと、この程光秀は思ひ切り候。おのおの同心なく候はば、本能寺へ一人乱入し、腹切りて思ひ出す覚悟なり。おのおのいかに、いかに、と申されしかば、弥平次進み出でて申すやう、「御一人の御胸に思し召し立ち候とも、天知る地知る我知る人知ると申す譬への御座候に、まして五人の者に仰せ聞けられし上は、思し召し留まられ候こと、全く御無用に候」。
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「老後の思い出に、一夜だけでも天下を取った思い出を残そうと、近ごろ光秀は思い切った。皆が賛成しないなら、本能寺へ一人で乱入し、腹を切って思い出とする覚悟だ。皆はどう思う、どう思う」と言われると、弥平次が進み出て、「お一人の胸の内に思い立たれたことでも、天知る、地知る、我知る、人知るという譬えがございます。まして五人の者にお打ち明けになった以上、思いとどまられることは全く無用です」と申し上げた。
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六月朔日 夜に入丹波國龜山にて 維任日向守光秀 企逆心 明智左馬助 明智次右衞門 藤田傳五 齋藤內藏佐 是等とし而談合を相究 信長を討果し天下主と可成調儀を究
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六月朔日、夜に入り、丹波国亀山にて、惟任日向守光秀、逆心を企て、明智左馬助・明智次右衛門・藤田伝五・斎藤内蔵佐、これらとして談合を相究め、信長を討ち果たし天下の主と成るべき調儀を究む。
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六月一日、夜になって、丹波国亀山で、惟任日向守光秀が謀反を企て、明智左馬助、明智次右衛門、藤田伝五、斎藤内蔵佐らと相談を詰め、信長を討ち果たして天下の主となるための手はずを定めた。