信長公記は、信長がはじめ弓を取り、弦が切れると槍で戦い、肘に傷を負って退いたあと、女たちを逃がし、殿中の奥に入って内から戸を閉ざして切腹した、と記す。川角太閤記(C)は、毛利方の早打の報として「二日の卯の刻(午前5〜7時ごろ)」の切腹だったとする。時刻は信長公記に無く、早朝という表示は両者を合わせたAIの判断である。戦いの細部は後年の単独の記述なので推定として扱った。
原文 AI作成
信長公二日の卯の刻に御切腹候
書き下し AI作成
信長公、二日の卯の刻に御切腹候。
現代語訳 AI作成
信長公は二日の卯の刻(午前6時ごろ)にご切腹なさった。
原文 AI作成
信長初には御弓を取合二三つ遊し候へは何れも時刻到來候而御弓之絃切其後御鎗にて被成御戰御肘に被鎗疵引退是迄御そはに女共付そひて居申候を女はくるしからす急罷出よと被仰追出させられ旣 御殿に火を懸燒來候御姿を御見せ有間敷と被思食候歟殿中奧深く入給ひ內よりも御南戶之口を引立無情御腹めされ
書き下し AI作成
信長、初めには御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし候へば、いづれも時刻到来候て、御弓の弦切れ、その後御鎗にて御戦ひなされ、御肘に鎗疵を被り、引き退く。これまで御そばに女ども付き添ひて居り申し候を、「女はくるしからず、急ぎ罷り出でよ」と仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け、焼け来たり。御姿を御見せあるまじと思し召され候か、殿中奥深く入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て、無情にも御腹召され。
現代語訳 AI作成
信長は、はじめは弓を手にして二、三本射られたが、やがて時が来たのか弓の弦が切れた。その後は槍で戦われたが、肘に槍傷を負って退かれた。それまでおそばに付き添っていた女たちには「女は構わぬ、急いで出て行け」と仰せになって追い出された。すでに御殿には火がかけられ、燃え迫っていた。(信長は)姿を見られまいとお思いになったのか、殿中の奥深くに入り、内側から南の戸口を閉ざして、痛ましくも切腹された。